<通称>御津八幡宮(みつはちまんぐう)
542 大阪府大阪市中央区西心斎橋2-10-7
旧摂津国 東成郡
【祭神】應神天皇 (配祀)仲哀天皇 比v大神
【例祭】6月15日 例祭
由緒書
寛文七年三月十九日、摂津西成郡大坂南木綿町三津寺八幡宮、三津寺町月行司、仁兵衛、同小左衛門と遺名のある縁起絵巻物、更に宝永元年初秋下旬、従三位源朝臣記すところの摂津三津湊八幡宮記等の縁起書に依ると、第二十九代欽明天皇三年六月十五日、卯の刻に八幡大神が此の津の巌の上に顕われ「宿因深き地なる事を感じ今茲に来たれり、爾後永く此の地に止り国を守り民を利せん」との御神託があってより、里人等畏れ尊みて祠を建てたのが創建である。
第四十五代聖武天皇が、東大寺御建立に際し九州宇佐より奈良手向山に八幡様の御分霊を勧請された時に、神輿が難波の三津にお着きになった。一時お祀されていたが、第四十六代孝謙天皇の御宇、天平勝宝元年に改めて八幡宮を建立され、永久に氏神として奉祀されることになり、社名は地名に因みて御津八幡宮と称された。
応神天皇の尊称は品陀別気命と申され八幡大神と称え奉る、仲哀天皇、神功皇后の皇子としてお生まれになり大和国高市郡軽島の明宮で天下を治め給う。
神功皇后三韓親征仲に胎中にあって既に皇位に即かれる(胎中天皇)ことに決まったと伝えられている。
御在位四十一年、此の間治山治水につとめられ、又この御宇には三韓から文化頻りに渡来し来貢来朝帰化等相続き、造船、鍛冶、養蚕、縫織、醸造等、大陸に発達した技術が続々伝来して我が国の文化は面目を一新するに至ったようで、これらの事共から安産の神、学術及び芸術文化の神として御神徳を高く仰がれている。
http://kamnavi.jp/en/settu/mitu8.htm