<通称>森之宮神社(もりのみやじんじゃ)
540 大阪府大阪市中央区森之宮中央1-14-4
旧摂津国 東成郡
【祭神】用明天皇 穴穗部間人皇后 素盞嗚命
【例祭】7月15日 夏季大祭 10月15日 秋季大祭
上町台地の東の一帯は古くから栄たところで、森ノ宮遺跡(市立労働会館{現:アピオ大阪}下に保存)の貝塚にもわかるように、縄文時代から沢山の人が住んでいたところである。
上古よりこのあたりは玉作の岸と称する良港であり、外国からの使節の殷賑が多かったようである。近くに国分町と称する町あり、おそらくは国分寺や迎賓館があったのであろう。
上古、このあたりにあった森を「難波の杜」と呼んでいたようである。そこに崇峻天皇二年七月、聖徳太子が物部守屋との戦いの時、必勝を期して父母である用明天皇と穴穂部間人皇后を祀り、自ら四天王の像を刻み、大伽藍を当社近接の玉作の岸に創立なさった。これを元四天王寺という。
しかしこの土地は低地のため、風波や満水によりて伽藍を損することあるによりて、聖徳太子後代を憂いなさり、推古天皇元年九月、四天王の像及び伽藍を残らず今の荒陵にお移しになった。しかし諸堂の御鍵はその侭当社に残し置きなさったという。その伽藍の跡は今の森之宮公園のあたりという。
推古天皇の御代には吉士磐金という人が、新羅の国より帰国して鵲をこの森に飼わせたという。(『日本書記』・推古三年夏四月の条)それ故「鵲之森」と唱え、終に宮の名となり、略して森之宮、森明神という。江戸の各地図にも、又『摂津名所図絵』にも紹介された。文久の『浪花百景』にもカラーで書き止められている。
又二次大戦のおり、北の近くに造幣工厰(現・大阪公園)があり焼夷弾が雨と降ったに関わらず本殿は焼けなかった。霊験あらたかな神社である。
ところが市街地のため、省線(現・JR)、市電(現・なし)や道路拡張のため境内地が削られ、平成八年には本殿の下を地下鉄七号線が通ることになり、それゆえに平成の遷宮を今考えさせられている。